【他流試合】人間の本質とは何か?


人間が本来持っている独自の「自分」ってないの? <ジャニス>

人間の本質が、「無限に」「多様」「流動的」で「移ろう」ものという主張は、非常に画期的で意外性に富んでいる。驚いた。

だって、一般的に「それが、あの人の本質か!」とか、「物事の本質を見極めよう」とか、「本質」という言葉を使う時は、確固たる、唯一の、その人(物)であるとする一番の要素、核を意味することが多いからだ。

それが複数あって流動的に変わるものだなんて、「本質」と言えるのだろうか? そこがまず疑問だ。

そして、心にもないことでも「それは毎度やっているうちに自然な行為になる」という点も疑問だ。嘘でも、形を真似てやっていくと、必ず真実になるだろうか? ならない人もいるでしょ? プラム子の事例で言えば、他人から善人に思われたくて、隣で転んだ人を助けるという行為を何度も繰り返すうち、本物の善人になると言うが、そうとは限らないだろう。「他人の目を意識して」善業を施す人は、誰も見ていなかったから、転んだ人を助けはしないのではないか。

もちろん、本物の善人になる人もいるだろう。「他人から善人と言われたいから」とか「誰かが見ているから」という理由を超越して、そんな理由や効果も期待せず、ただただ転んだ人を助けたい一心で行うようになる人もいるだろう。いわば「無償の愛」で行動することだよね。問題は、その分岐点だと考える。つまり、己の虚栄心や見栄のため、ずっと偽善を働く人と、真似から入ったが本物の善人になっていく人との違い。その差は何だろう? それを解明することが、プラム子の「人間の本質論」になるだろう。

さて、私がなぜ「人間の本質って何?」というテーマを掲げたかというと、本サイトは教育について語る場だからだ。人間は学校で教育を受け、心身共に成長していく。学校だけではない。生まれた時代、家庭環境、社会情勢・・・色々なものから教育されていく。学力なんてものはまさに環境に左右される。周知の事実に、東大生はお金持ち家庭の子どもが多い、教育投資と学力は比例している、というものがあるほどだ。

学力だけでない。お行儀の良い子、感受性の高い子、周囲に気を配れる子・・・等々、性格、人格、気質も、家庭や学校や社会の影響を受けて形成されていくものなのかなぁ〜? と、ふと疑問に思ったのだ。

そういった影響をそぎ落として、その人間が本来持っている独自の「自分」ってないのかな〜? それは、親からのDNAの影響だけになってしまうのか? そんなこと言ったら、子どもは親を選べないじゃん! その人間の本質が親の遺伝子だけだったら悲しい。努力しようがないってことになる。

「努力」という言葉を書いて気づいた。プラム子の言う「仮面は『そうなりたい』自分だ」は、努力の方向性を定める目標物かもしれない。「そうなりたい」という欲求。今は、理想の自分ではないが、なりたい、なろうとする欲求、そのベクトルがその人間を衝き動かしている。そこに、その人間の本質があるって、プラム子は言いたいのではないですか?

 

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