なぜ教員になったの?


人生の師の言葉+ドラマ金八先生+性格 <ロジャー>

「なぜ教員になったか?」−−皆と違って、ロジャーの理由は、引かれちゃうかなあ。

小学校のとき、亡き父親に、
「お前が大人になったときには、アフリカの国々との取引が重要になってくる。そこの言葉を覚えて、外交官になれ」
みたいなことを言われて、小学校の卒業文集には「将来の夢は外交官」って書いた。

でも中学生のときに、3年B組金八先生というドラマに出合ってしまった(笑)。一応、夕方に見てたから再放送だよ(笑)。そこで中学校の先生に憧れたんだ。

ちょうどその時期、人生の師匠となる先生の本を読んで、
「私の最後の事業は、教育だ」
と書かれていた。それに感銘したことと、3年B組金八先生と相まって、「中学校の先生になって、部活のできる数学の教師に!」って思ったんだ。

そして、高校へ進学。いよいよ進路選択のときに、副校長が、
「君は、まだ真っ白なカンバスを持つ子どもたちに、虹色の絵を描いてみたらどうだ」
と、小学校の先生になればとアドバイスされた。

確かに、自分が住んでいた住宅の小さな子どもたちが自然に寄ってきて話しかけてきたり、「遊ぼっ」て声をかけてきたり……。うちの親や弟たちも、私のところに小学生が寄ってくることを不思議がっていた。だから大学は小学校の免許が取れる学部へ。

まとめると、人生の師匠の言葉「私の最後の事業は教育だ」と、3年B組金八先生の生徒のために動くあの姿から、教師になりたいって思った。そう思って、高校生活を送っていると、「真っ白なカンバスに、虹色の絵を」の言葉、さらに近所の子どもたちが寄ってくる自分の不思議な性格(?)から、小学校の教師になろうって思った。

これがロジャーが教師になった理由かな。

初めて先生と呼ばれたのは、大学3年生の時。公文の先生を始めたから。公文には、3歳ぐらいの子どもから、高校生までやってくる。中学、高校生になると、自分よりもうんと大きいから、あんまり相手にされなかったけど、小さい子どもや小学生からは、
「先生、丸を付けてください」
と呼ばれるのがすんごく嬉しかった。

教育実習では、3人の女の子のことを覚えている。一人はほとんどしゃべらない子。でも、二人になると、いろんなことを話してくれた。

もう一人は、なかなか教室に入れない子。実習後半になると、
「先生と手をつないだら入れる」
って言われて跳んで入ったり、しゃがんで入ったりした。

最後の子は、歯医者さんの娘さん。この3人のうち、2人とは、彼女たちが大学生ぐらいまで、年賀状のやり取りをしてた。

そして、現場へ。採用試験に受からなかったので、臨時講師からスタート。それも6月。赴任した小学校は、17時から金八ワールドがあった。皆カップラーメンを食べて、家庭訪問に出かける。

家になかなか帰らない子。ご飯がないから、用意して食べさせないといけない子。なかなか家に帰らないので、探し回って、家に送り届けないといけない子。こんなのが20時ぐらいまで続いた学校。そして、授業の準備(笑)。

周囲の先生も熱くて熱くて、たくさん教えてもらった。毎日帰りは、びっくりする時間。今じゃ、無理(笑)、体力がもたないから。その当時の子どもたちや、次年度にもった子どもたちとは、今でも交流がある。中には、保護者になって、その子どもを担任するという経験もした。

採用されての2校目からは、崩壊した後のクラス、学校に対して厳しいことを言ってくる保護者達が集まってるクラス、学年の個別の指導計画のある子ども全員集合のクラス……などなど、毎年楽しいクラスを担任してきた。

やめたいと思ったことは、一度あるけど・・・(笑)、これは、また後日。

 

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